カートをみる マイページへログイン ご利用案内 お問い合せ お客様の声 サイトマップ
RSS
 

Jeans History 〜ジーンズの歴史〜

現代のジーンズは、ヨーロッパで生まれたデニムを、アメリカに持ち込んだリーヴァィ・ストラウスの発案により誕生したといわれている。
一説には15世紀、イタリアの港町ジェノバで作られた厚く丈夫な布地、あるいはその布地でできたパンツを着用していた水夫たちをジェノイーズと呼んだのが語源だといわれています。

フランス産のセルジュ・ドゥ・ニーム(英語ではデニム)を、ゴールドラッシュにわくアメリカ西海岸でテント地としてヒットさせたリーバイ・ストラウスが、その生地をインディゴで虫除け、蛇避けを兼ねて染めたものが、ブルーデニムであり、ジーンズの発祥です。
リベットは、前と後ろのポケットの両端に打ちつける。
そのほかの仕様には一定の決まりが無かった。

価格は3ドル(当時としてはかなり高かった)。この作業ズボンは評判がよく、評判が評判を生んでよく売れた。リーバイ・ストラウス社からテント地を買っていたヤコブ・デービスは、彼に「リベットで補強した衣類」の特許申請を持ちかけた。共同による特許取得申請は、1873年5月20日に受理。
その代わり、販売に関しての権利を2人で分割し、ヤコブ・デービスは初代の工場長に就任した。このポケットの取り付け部分の生地が破れぬ様に馬具のブランケット用のリベットを打ち込んだのが、現在まで通ずるジーンズの直接の原型とされています。

その後、素材をキャンバス生地からデニム生地へとシフト、1878年にドイツで開発された合成インディゴを染料とし、その後のジーンズは確実な発展を遂げていくことになる。
1955年の映画『理由なき反抗』でジェームズ・ディーンが着用していた事から、世界中の若者の間にファッションとして普及していった。(劇中でジェームズ・ディーンが愛用していたのはLee RIDERS101 1952モデル)

日本での普及のきっかけは、1945年の敗戦後。アメリカ軍が放出した古着のなかに大量のジーンズがあり、当時の若者たちが着用したかららしい。
その時着用した有名人に白洲次郎がいる。1963年に大石貿易(ブランド名:キャントン)がデニム生地をキャントンミルズ社から輸入し国内初のブルージーンズを発売する。

かつては日本では「Gパン」という呼び名が一般的であった。これはアメリカの G.I. が履いていたので、そのパンツということでGパンとなったとする説、また、ジーンズを初めて日本に紹介した人物が、ジーンズ (jeans) のパンツの意味で「Jパン」と名づけようとしたが、「J」の代わりに元の発音に近い「G」を代用したという説などがあります。

2004年1月8日、リーバイ・ストラウス社は兼ねてからの業務縮小に伴い、アメリカ国内での最後のジーンズ生産工場を閉鎖してしまいました。

洗濯

ジーンズは洗濯しない物という考えが広まっています。色落ちや不格好な皺が出来るのを嫌っての事でありますが、洗濯しない衣服はジーンズに限らず当然ながら非常に不衛生です。

特に、ジーンズの内側はこすりつけられた脚の皮脂が付着するので、それを栄養にしてカビが発生する事さえあります。さらに、汗と油によって生地そのものが傷むので、本来作業着であるはずのジーンズの強度が極端に落ちてしまうという弊害も出てきます。

ですから当店では洗濯をオススメします。
方法としては、生地の表面が洗濯機の内側で擦れて不必要な色落ちが起きないように裏返しにしてから、普通の衣服と同様に洗剤を使い、洗濯機で洗って下さい。どうしても、洗剤や洗濯機を使いたくない方も最低でも、水洗いは行わないとジーンズの寿命が短くなってしまいます。

また、色落ちを出来るだけ防ぐためには洗濯石鹸や中性洗剤を使用するのが望ましいです。洗剤選びには注意が必要で、蛍光剤や漂白剤が入っている洗剤は極端な色落ちに繋がりますので使用はお控え下さい。

オススメの洗剤は SUGAR CANEのデニム洗濯用洗剤&仕上げ剤『VINTAGE WASH(洗濯屋)&PREMIUM CARE(仕上屋)』です。

スカジャンの歴史

JAPANESE SOUVENIR JACKET

「スカジャン」とは戦後間もない頃に日本駐留の米兵達が、その記念としてオリエンタルな柄(鷲・虎・龍)や自分たちの 所属していた部隊や基地などを自分たちのジャケットに刺繍したのが始まりである。
その後、スカジャンは土産物(スーベニア)として商品化され各地の基地の売店(PX)で販売されるようになった。

当時、このスカジャンをはじめとした衣料品を米軍基地へ納入していたのが、東洋エンタープライズの前身である「港商商会」であり、スカジャン生産全盛期の1950年代には、納入シェアの95パーセントを占めるほどであった。
また、港商が納入していた衣料品にはアロハシャツも含まれていたが、柄には「鷲・虎・龍」をモチーフにしたオリエンタルな柄なども含まれており、スカジャンやアロハシャツは日本特有のオリエンタルなデザインが用いられた衣料品だと言うことが伺える。

STORY

日本に「洋服」が伝わってから長い年月が過ぎていったがその中でアメリカやヨーロッパへ行って、「これは日本人が作った洋服だ」と言わせるものが唯一あるとすればそれは「スカジャン」ではないだろうか。オリエンタルの象徴としての鷲、虎、龍といったモチーフが刺繍されたジャンパーである。

スカジャンが誕生したのは太平洋戦争に敗れ、疲弊した終戦直後のことである。全くと言っていいほど物資がなくなり、日々の暮らしを営んでいくために猛烈に知恵を絞り生き抜いてきた事実が現代日本の繁栄につながった。

闇市で食料品を調達することが余儀なくされていた時代、インフレで貨幣価値が下がり、日本人同士の経済の循環ではとても間に合わなくなっていた。しかし、「持てる者」「お金を使う者」は日本人以外にたくさんいたのだ。進駐軍として日本にやってきた米兵である。勝者である彼等は日本に来て多くのお金を落としていった。当然そこに目をつけた者は少なくなかった。米兵相手の店はいずれも繁盛した。店を出すことのできない者は、焼け野原からわずかに残った自分達の家財などを売っていたのだ。

当時、東京の銀座界隈には多くの露店が並んだという。そこには米兵達がお土産として欲しがるようなものが並べられた。例えば雛人形などは人気があった。首部分が欠損しているようなものでさえもアメリカ人の好物にはかわりなく、飛ぶように売れていったそうだ。やがて、そんな状況に目を付けて、少しずつお土産として好まれる品を自分達で作って売るという動きを見せる者が出てきたのだ。ここで売れるものは何か?米兵達に親しみやすい服で雛人形に代わるもの。ベースボールジャケットを模して、そこに彼等に喜ばれそうな派手な刺繍を入れて売る。生地は物資統制外で比較的手に入りやすかったレーヨンを使い、刺繍は桐生や足利で呉服や和装小物に刺繍を入れていた職人達に頼んで鷲、虎、龍などの刺繍を入れてもらった。

最初は少しずつ露店に持ち込んでは「シルク素材だ」という触れ込みで米兵達に販売した。すべてが混沌とした時代である。それがレーヨンだったとしても、シルクだといえばシルクになってしまうような時代だった。並べればすぐに売れてしまうほど人気となったこのジャケットは「鷲虎龍の刺繍ジャンパー」と呼ばれていた。
やがて銀座界隈で人気を集めたこのジャンパーに目を付けたのはPXだった。露店から販売されたこのジャンパーは各地の基地に存在するPXに一斉に納められるようになった。

当時の納品伝票を見るとしっかりとこのジャンパーに名前が付けられていた。 「SOUVENIR JACKET(スーベニアジャケット)」。 スカジャンの誕生である。

ページトップへ